小林麻央さんの余命は?ステージ4の原因は医師にあり?
小林麻央さんと言えば、今や日本中が注目しているのではないかというほど、何かと情報番組で取り上げられていますよね。
その理由の一つが「乳がん」です。
2016年の6月に「乳がん」であると公になりました。
2017年1月9日(月)に「市川海老蔵でござりまする」が放送されましたが、そこへ乳がん公表後に小林麻央さんが初めてテレビに出演されていました。
番組内で市川海老蔵さんが言った言葉「早ければ3,4,5月辺りで多分駄目だった。」や「夏は無理だと思った」などという衝撃的な言葉がとても印象的でしたが、そこまで深刻な状況で、さぞかし辛いだろうなぁと思いました。
海老蔵さん、麻央さんの二人の子供、勸玄(かんげん)くん(3)と麗禾(れいか)ちゃん(5)はまだ幼く、母親が必要な時期だというのにとても苦労されているのだと思うのと共に、とても多くの方が関心を寄せているのではないでしょうか。
医師のせいで「ステージ4」になった?
2016年10月21日、女性自身では
「最初に診た医師がしっかりしていれば、ここまで深刻にならなかった」
とガンの専門医が語ったとしている。
2014年2月に、海老蔵さんと共に人間ドックを受けたときに「乳がん」の疑いをもたれたそう。これは一大事ということで、すぐに東京都港区にある大きな病院で再検査を受けました。
その時に担当したのは乳腺外科のA部長で、当時の同科にはB部長もおり、2人の部長がいたそうです。B部長の方は臨床経験も豊富な名医で、現在は赤坂で開業されているそうです。もしこの時、A部長ではなくB部長が見ていれば発見できていたはずと語っています。
その結果、A部長はがんを見落とし、8か月後に乳房に違和感を持った麻央さんは検査を受けることに。この時にようやく「乳がん」が発見されたのだが、その告知をしたのが8か月前に乳がんを見落としたA部長だった。
すでにリンパ腺にがんが転移した状態だったそうです。通常このようながんの場合は「抗がん剤」治療でがんを小さくして手術で切除をする。というのが一般的な「標準治療」だそうで、当然A部長もその標準治療を提案したのだが、小林麻央さんは乳房を残すことを望み、A部長の提案には乗り気ではなく、結局その日は病院を後にしたそうです。
その1年半後、小林麻央さんが再び病院を訪れた時には、がんは骨と肺にまで転移した「ステージ4」に悪化していたそうです。がんが皮膚から飛び出すなど、すでに末期の状態だったので、今では「2017年死去説」や「余命3か月説」など数多く噂されています。
2017年1月死去説の発端となった腹水写真
なぜこのような噂がでたのかというと、事の発端は小林麻央さんと市川海老蔵さんがコーヒーの飲みながら歩いている写真が雑誌フライデーに掲載されたことから起こった。
写真は二人が並んで歩いている様子を撮られたものだが、麻央さんのお腹がやけに膨らんで見えるように思える。
2015年にがんで亡くなった川島なおみさんがイベント出席時に撮られた写真とお腹の膨らみが似ているからである。
がんが進行すると、内臓とそられを包む腹膜の間に水がたまってくるのですが、それを一般的に「腹水」と呼んでいます。がんで亡くなる人の共通点として「腹水」がたまる。ということがあるので、小林麻央さんの余命が僅かなのではないか?と心配しているファンも多いようです。
姉の小林麻耶さんの休養が小林麻央さんの余命と関係している?
小林麻耶さんといえば、小林麻央さんの姉としても有名ですよね。
2016年の5月に「バイキング」の生放送中に体調不良を理由に退席し、そのまま救急搬送されるということが起こりました。
すぐに体調は持ち直したものの、大事を取ってしばらく休養をするということで、現在はまだ休養中でテレビにも出てきていません。
パニック障害だ何だと色々な憶測がされていますが、本当の理由は妹である小林麻央さんと最後のひとときを過ごすためではないかという噂もたっており、麻耶さんの休養と麻央さんの余命が関係しているのではないかとにらんでいる人もいるようです。
小林麻央オフィシャルブログ「KOKORO」
麻央さんはオフィシャルブログ「KOKORO」を開設し、日々の闘病生活などをブログ中で綴っています。
毎日記事が更新されていたので、同じ闘病生活の人やファンなど多くの人が見ていた人気ブログですが、「食事もまともにできない」「のどの痛みが消えない」などといった近況を報告し、2016年12月からは更新も途絶えがちになっているので、そのことも「余命わずかではないか」という憶測をよんでいるようです。
ブログの内容には、骨や肺に転移した「ステージ4」は完治することはない。と告白しており、2016年の「ステージ4・乳がん」の10年生存率は25.49%なのだそうです。
小さな子供を持つ同じ親として、私としてはそういった噂を聞くだけでも心が痛むというか、とても辛い気持ちになります。
一時期は手術もできないくらい深刻な状況だったそうですが、9月には手術を受けることもでき、一時外出ができるようにまで回復するという、「奇跡」のようなことが起きているのも事実です。
年末年始は家族みんなで。という訳にはいかなかったものの、海老蔵さんと年越しそばを食べに出かけたり、姉の麻耶さんと年越しされたりと、楽しく幸せな年末年始を過ごされたようです。
諦めず、必死に病と闘っているからこそ起こる奇跡であって、精神面でもかなり強く希望も持っているのだと思います。1月9日の番組内でも「神様、海老蔵さんを支えるチャンスをください」と応えていたので、その願いが叶ってくれることを祈るばかりです。
「末期」「余命半年」と言われ奇跡の復活を遂げられた方も大勢いますので、子供たちのため、家族のため、なにより自分のためにも「復活」を望んでおります。
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